忙しいのと、パソコンが不調なのとで、なかなかブログに記事を書くことができないけれど、今日は雨なのでちょっと昨日Facebookに書いた自分の思いについて、ここにも掲載したい。
私は、農閑期にJRで除雪のアルバイトをしていることもあり、連日のJR北海道のニュースはとても気になっていた。事故の根本原因について、TVやラジオ、新聞などでも色々なコメントをきいたが、どうもピンと来ない。人口密度が希薄=広大で気象条件も過酷な北海道で、鉄道を維持管理することは大変なことで、国鉄からのJR移行分割によって一番割を食うことになったのは、北海道だったのだろう。電電公社が民営化されて新しい電話会社も誕生し、競争によりサービスが向上したのとは訳が違うのであり、何のための分割だったのか。分割によって、北海道の技術が遅れをとってしまったという面があることは否めないのではないか。以下が、昨日FBに書いた記事。
出るわ出るわJR北海道の相次ぐ事故・不祥事。利用者の不満は爆発寸前であるが、死傷者の出る大事故に至っていないことだけが、不幸中の幸いである。合理化=人減らしが、招いた結果であることは間違いない。特急のスピードダウンを決めたことは、正しい見識であろうと思う。
経済一辺倒、合理化の行き着く先は、人間性の否定でしかない。人間というものは、決して合理的なものではないし、無駄なように見えることが、実は必要なことなのである。必要のない人間などいないし、リストラ=人減らしという意味に使われていることは、実に嘆かわしい。農業の世界も、まったく同様。コストダウン、大規模化が招くのは、まともな食べ物とは言えないような工業的な商品としての農産物であり、農地の環境破壊と農薬漬けの不健康な食品の蔓延。一見、非合理的に見える有機農業の世界にこそ、持続可能で豊かな世界がある。
国鉄がJRになり分割されて、良くなった点もあるのだろうが、悪くなったことの方が実に多い。北海道では、多くの路線が廃線になり、自家用車の運転ができない交通弱者にとっては生きづらい世の中となり、過疎化と札幌一極集中が進んだ。競争とか合理化ということ自体は、決して悪いことではないのだが、それが最高目的となってはいけないのである。基本的には、共生や相互扶助ということこそが、自然の摂理の中心であって、人間が人間らしく生きるためにもっとも大切にすべきことである。
私は、農閑期にJRで除雪のアルバイトをしていることもあり、連日のJR北海道のニュースはとても気になっていた。事故の根本原因について、TVやラジオ、新聞などでも色々なコメントをきいたが、どうもピンと来ない。人口密度が希薄=広大で気象条件も過酷な北海道で、鉄道を維持管理することは大変なことで、国鉄からのJR移行分割によって一番割を食うことになったのは、北海道だったのだろう。電電公社が民営化されて新しい電話会社も誕生し、競争によりサービスが向上したのとは訳が違うのであり、何のための分割だったのか。分割によって、北海道の技術が遅れをとってしまったという面があることは否めないのではないか。以下が、昨日FBに書いた記事。
出るわ出るわJR北海道の相次ぐ事故・不祥事。利用者の不満は爆発寸前であるが、死傷者の出る大事故に至っていないことだけが、不幸中の幸いである。合理化=人減らしが、招いた結果であることは間違いない。特急のスピードダウンを決めたことは、正しい見識であろうと思う。
経済一辺倒、合理化の行き着く先は、人間性の否定でしかない。人間というものは、決して合理的なものではないし、無駄なように見えることが、実は必要なことなのである。必要のない人間などいないし、リストラ=人減らしという意味に使われていることは、実に嘆かわしい。農業の世界も、まったく同様。コストダウン、大規模化が招くのは、まともな食べ物とは言えないような工業的な商品としての農産物であり、農地の環境破壊と農薬漬けの不健康な食品の蔓延。一見、非合理的に見える有機農業の世界にこそ、持続可能で豊かな世界がある。
国鉄がJRになり分割されて、良くなった点もあるのだろうが、悪くなったことの方が実に多い。北海道では、多くの路線が廃線になり、自家用車の運転ができない交通弱者にとっては生きづらい世の中となり、過疎化と札幌一極集中が進んだ。競争とか合理化ということ自体は、決して悪いことではないのだが、それが最高目的となってはいけないのである。基本的には、共生や相互扶助ということこそが、自然の摂理の中心であって、人間が人間らしく生きるためにもっとも大切にすべきことである。