3月4~5日にかけて、江別市にある日本キリスト教団野幌教会を会場に、「第18回 農業と食べ物を考える会」(北海道農民キリスト者の集い)が開催されました。私は、北海道で農業を始めて21年目ですが、第1回からこの会に参加しています。日本キリスト教団(日本最大のプロテスタント宗派、合同教派)の他、北海道に多い日本キリスト教会(プレスビテリアン=長老派)、メノナイト(再洗礼派・歴史的平和教会の一つ)、聖公会(アングリカン=英国教会系)、無教会派(内村鑑三が始めた日本独自の宗派)など様々な宗派の人が参加しています。会員外やクリスチャンでない人にも気軽に参加してもらえるように「農業と食べ物を考える会」という名称にしています。
断っておきますが、日本ではクリスチャンは人口の約1%と、世界でも最もキリスト教が普及していない国の一つですが、その数少ないクリスチャンのうちで農家は、一般に占める農家の割合よりさらに少ないのです。それは、日本におけるクリスチャンの多くは、どちらかといえば都市のインテリ層が占めている実態があり、日本においては農村伝道というものが試みられはしたものの禁教令以前の時代を別として明治以降ほとんど成功しなかったからです。しかし、北海道には明治期にキリスト教会による開拓団もあり、戦後キリスト教主義で農業後継者を育てる酪農学園(江別市)が誕生し、そこから全道に三愛塾運動というものも広がり、国内では農民キリスト者が比較的多い地域と言えます。とはいえ、それは550万道民のうちの数百人という取るに足らないレベルのものです。しかし、少数者であるからこそ、「地の塩」としての大きな役割があるのではないかと思います。
今年のテーマは「放射能汚染と農・食の問題」、昨年はTPPがテーマでしたが、時宜を得た内容で、福島県で有機農業を実践しながら議員活動もされてきた農民キリスト者の斎藤仁一さんを講師に招き、全道から農民キリスト者、農に関わる農村伝道神学校出身の牧師や、酪農学園大学の元先生、学生など30数名が集まりました。
初日16時より、酪農学園大学教授の朴愛美先
生の司式で開会礼拝が行われました。朴先生は、1994年にアジアの青年に有機農業を教えている栃木県のアジア学院に宣教師として来られ8年間務め、その後牧師になる勉強をするため韓国に戻り、2008年から再び5年間の任期で酪農学園大学に来られました。一昨年は学生たちと「えこふぁーむ」にも訪問して下さいましたが、また3月一杯で韓国に戻られてしまうとのことです。
礼拝では、まず讃美歌21から第424番「美しい大地は」を歌い、私は歌いながら涙が流れそうになりました。神が私たちに与えた美しい大地で、我々はこの恵みを分かち合い助け合うべきであるのに、「種まく物が飢え、刈り取る者が痩せ、紡ぐ者がふるえ、貪る者が富む(3番)」という現実があります。聖書の神は、このような不正義な状態を決してよしとはしないお方です。
朴先生は、創世記第2章8~9節と15~16節を取り上げ、神が創造したエデンの園(地球)において農業を行い、その環境を守ることが、人類に与えられた使命であると語りました。一昨年の東日本大震災以降、4度にわたって学生を引率して東北にボランティアに出向いた中で色々気付かされたとのこと。津波による被害で多くの農地が破壊され、塩害で作物が作れなくなったりしましたが、塩に強い綿を栽培するなど努力されているそうです。また数百年前の今回と同程度の大津波によって、実は海からもたされた砂で現在の豊かな農地になっている事実もあり、この厳しい冬の雪が夏の間に大地を潤す恵みとなるように、神の恵みは計り知れないことを語られました。津波による被害は、時間をかければ復興できますが、放射能による被害はそうは行きません。26年前のチェルノブイリ原発事故の教訓を学べなかった日本人は、愚かであったと。「エデンの園のどの木からも思いのまま食べてよいが、善悪を知る木の実だけは決して食べてはならない。それを食べたら必ず死ぬ。」と言われた神の教えに反して、人類が神のような大きな力を得ようと食べたものが、ウランという禁断の実であったのではないかということを、述べられました。現代の人類は、命の道か、死の道か、という岐路に立たされているのです。
その後、参加者全員から近況報告など分かち合いの時間の後、野幌教会婦人会の皆様の手作りによるおいしい食事をいただきました。メインディッシュのチキンソテーの他、石狩市厚田で半農半漁・燻製作りをされている平賀さん差入れの今年は豊漁というニシンの煮付けに、カジカの味噌汁、ニシンの飯寿司や粕漬けなどの漬物もあり、食べきれないほどの北海の幸を堪能いたしました。
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19時から、斎藤仁一氏による「放射能汚染の実態と農業・食糧への影響~原発事故後のフクシマから考える」という講演でした。
斎藤さんは、1952年生まれで香川県豊島に
ある賀川豊彦が設立した立体農業研究所や米国カリフォルニア州で農業を学んだ後に実家(系図で30数代目とのこと、会津藩というとで焼き討ちに遭った後に建てられた明治初めの家だそう)の農業を継ぎ、会津立農会という農民クリスチャンの会(現在4軒)を作り農民福音学校を開催しています。また、91年に38歳で山都町議会議員になり(町村合併後、喜多方市議会議員にも当選、社民系)、NPO法人ひだまりの理事として、就労支援・生活支援・グループホーム事業なども手がけ、最終処分場反対運動ネットワーク事務局長も務めるなど、多彩な市民活動もされています。
斎藤さんの農場は、福島第一原発から
110kmほど離れており、南に猪苗代湖、北に飯豊(いいで)連峰という万年雪の山を抱く米どころにあります。喜多方市の現在の空間線量は毎時0.08~0.16μSv(マイクロシーベルト)ほどで除染が必要とされる0.23μSv/h(年間で1μSvに相当)よりは低いですが、雨どいの下とか、ホットスポット的に高い所はたくさんあるそうです。福島県では210万人あった人口のうち10万人が県外に避難しており、6万人が県内で避難生活をしています。斎藤さんの住む地域は新規就農者が多く家族を含め40名ほどいましたが、原発事故で2家族が神戸と名古屋に引越しました。小さい子のいる家庭でそのような選択は致し方ないとのこと。原発事故後に自殺した農家(特に有機農家)も少なくありません。「原発さえなければ」という文字を残し自殺した相馬市の酪農家のことを思うと、言葉もありません。避難した仮設住宅で孤独死するお年寄りも多く、そのような原発関連死は1千人を超えるだろうとのこと。これには、東電による賠償の遅さが大きな原因になっています。
斎藤さんの家では原発事故以降、15万円する線量計を買って放射線量を測り、農作物は検査に出して放射性物質ごとに詳しく測っています。斎藤さんの家では2町4反の田で3分の1を無農薬、3分の1を除草剤1回の減農薬、3分の1を慣行法で栽培し、200俵の収穫のうち半分は消費者に直売しています。2011年米(ひとめぼれ)はN.D.(検出限界以下)でしたが、2012年は5(±4)ベクレル。100ベクレル以下は出荷可ということで、福島県では米の全袋モニタリング検査を実施していますが、北海道米は0,01ベクレルくらいで、その数百倍のレベルで決してゼロではありません。保育園の給食にも出していて、放射線量はとても気にしているとのこと。基準内の数値だから大丈夫と言うのではなく、数値をはっきり示し、判断は消費者に任せています。今まで有機ということで安全性を理解して買ってくれていた人ほど、離れたことも事実です。でも、それを決して責めることはできません。米は、玄米より白米では若干減りますし、ヒトメボレは他品種に比べてセシウムの移行が少ない傾向がみられるとのこと。福島県の米1000万袋のうちN.D.(25Bq以下)が99.78%で、25~50Bqが0.2%、51~75%Bqが0.01%、75~100Bqが 0.0007%で、大半は問題のないレベルです。放射能検査は無料ですが、証明書の発行には1検体につき3000円かかります。
自家用の干柿(美濃柿)は、4.43ベクレルでしたが、福島県名産のあんぽ柿は100ベクレル以上で全て出荷停止になったそうです。斎藤さん家の裏山ではタケノコも生え、これもキノコなどと同様に放射能の値が高く出やすいものですが、5(±6)ベクレルだったので、ゆがけばもっと減るので食べているそうです。これらの検査に1回3000円かかりますが(補助が出ての金額)、一々こんなことをしなければならない現状は悩ましいことです。一番心配なのは2010年に家の暖房を薪ストーブにしたことで、灰を計ったところ2012年は3700ベクレル/kgで基準の8000ベクレル(低レベル放射性廃棄物のレベル)よりは何とか低かったのですが、13年はリンゴ農家の剪定枝を薪にして 12200ベクレルという高いレベルが出て、灰の始末は自分の仕事で慎重に行い、まだ乳飲み子の孫はストーブにも近づけないようにしています。家の空間線量は0.032ベクレル、ストーブ前でも0.048ベクレルで全く問題ないレベルとのことです。
空間線量の高い(0,3 ベクレル程度)二本松地区で大学の先生たちと農地や農作物における放射能に関する共同研究を行っていますが、農業を行うことで放射能の害を減らせることが分かってきました。それはこの地域が粘土質の土壌なので、放射性セシウムが耕すことで粘土に取り込まれ作物に移行しにくくなることが明らかになってきたということ。そして有機質を多く使った有機農業の農地の方が、そのような傾向がより強いそうです。半減期が長くとても農業などできない死の土地も生まれましたが、少し希望の持てる話しです。田んぼでも、水口にゼオライトのような放射性物質を吸着しやすいものをおき放射性物質をブロックする試みもされています。まだ2年間の研究で分からないことが多いのですが、これからも続けて行かなくてはなりません。営農活動によって地域のコミュニケーションを維持することも大事なことです。除染作業(初期に行われていた高圧洗浄はほとんど意味がないか排水処理をしなければ逆に悪影響がある)は進んでいませんが、少しでも食物による内部被爆を防ぐため、放射性物質を排出する作用のあるペクチンを多く含むリンゴを給食に取り入れたり、色々な対策をしています。
原子力は結局利権の問題であり、核武装能力を維持したいという隠された軍事目的の国策でもありました。この原発事故を機に、この国のあり方を、地方から変えなくてはなりません。明治時代に足尾鉱毒に反対し農民と共に闘った田中正造は、「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と言いました。原発は、全くその反対のものでした。(ちなみに、酪農学園を設立した黒澤酉蔵は、その田中正造に感動して弟子入りした人で、その後デンマークを見習おうと北海道に移住しました)自民党政府は、凝りもせず原発ゼロ政策を放棄して原発再稼動に向けて着々と準備を進めています。未だに経済の問題を理由に、原発を再び動かそうとしています。再稼動の判断を任された新しい原子力規制委員会も、原子力の専門家などが参加していますが、技術的なことばかりで本質には触れません。ドイツで原発をやめて自然エネルギーに転換するように政策を変えさせたのは、倫理委員会であって原子力専門家ではありません。聖書にあるように、人間は神と富とに兼ね仕えることはできないのです。生命を基準に考えたとき、原発を動かすという選択肢はないでしょう。
以上、福島の現地の状況を生の声できくことができ、大変勉強になりました。
>>>その2につづく
断っておきますが、日本ではクリスチャンは人口の約1%と、世界でも最もキリスト教が普及していない国の一つですが、その数少ないクリスチャンのうちで農家は、一般に占める農家の割合よりさらに少ないのです。それは、日本におけるクリスチャンの多くは、どちらかといえば都市のインテリ層が占めている実態があり、日本においては農村伝道というものが試みられはしたものの禁教令以前の時代を別として明治以降ほとんど成功しなかったからです。しかし、北海道には明治期にキリスト教会による開拓団もあり、戦後キリスト教主義で農業後継者を育てる酪農学園(江別市)が誕生し、そこから全道に三愛塾運動というものも広がり、国内では農民キリスト者が比較的多い地域と言えます。とはいえ、それは550万道民のうちの数百人という取るに足らないレベルのものです。しかし、少数者であるからこそ、「地の塩」としての大きな役割があるのではないかと思います。
今年のテーマは「放射能汚染と農・食の問題」、昨年はTPPがテーマでしたが、時宜を得た内容で、福島県で有機農業を実践しながら議員活動もされてきた農民キリスト者の斎藤仁一さんを講師に招き、全道から農民キリスト者、農に関わる農村伝道神学校出身の牧師や、酪農学園大学の元先生、学生など30数名が集まりました。
初日16時より、酪農学園大学教授の朴愛美先
礼拝では、まず讃美歌21から第424番「美しい大地は」を歌い、私は歌いながら涙が流れそうになりました。神が私たちに与えた美しい大地で、我々はこの恵みを分かち合い助け合うべきであるのに、「種まく物が飢え、刈り取る者が痩せ、紡ぐ者がふるえ、貪る者が富む(3番)」という現実があります。聖書の神は、このような不正義な状態を決してよしとはしないお方です。
その後、参加者全員から近況報告など分かち合いの時間の後、野幌教会婦人会の皆様の手作りによるおいしい食事をいただきました。メインディッシュのチキンソテーの他、石狩市厚田で半農半漁・燻製作りをされている平賀さん差入れの今年は豊漁というニシンの煮付けに、カジカの味噌汁、ニシンの飯寿司や粕漬けなどの漬物もあり、食べきれないほどの北海の幸を堪能いたしました。
19時から、斎藤仁一氏による「放射能汚染の実態と農業・食糧への影響~原発事故後のフクシマから考える」という講演でした。
斎藤さんは、1952年生まれで香川県豊島に
斎藤さんの農場は、福島第一原発から
斎藤さんの家では原発事故以降、15万円する線量計を買って放射線量を測り、農作物は検査に出して放射性物質ごとに詳しく測っています。斎藤さんの家では2町4反の田で3分の1を無農薬、3分の1を除草剤1回の減農薬、3分の1を慣行法で栽培し、200俵の収穫のうち半分は消費者に直売しています。2011年米(ひとめぼれ)はN.D.(検出限界以下)でしたが、2012年は5(±4)ベクレル。100ベクレル以下は出荷可ということで、福島県では米の全袋モニタリング検査を実施していますが、北海道米は0,01ベクレルくらいで、その数百倍のレベルで決してゼロではありません。保育園の給食にも出していて、放射線量はとても気にしているとのこと。基準内の数値だから大丈夫と言うのではなく、数値をはっきり示し、判断は消費者に任せています。今まで有機ということで安全性を理解して買ってくれていた人ほど、離れたことも事実です。でも、それを決して責めることはできません。米は、玄米より白米では若干減りますし、ヒトメボレは他品種に比べてセシウムの移行が少ない傾向がみられるとのこと。福島県の米1000万袋のうちN.D.(25Bq以下)が99.78%で、25~50Bqが0.2%、51~75%Bqが0.01%、75~100Bqが 0.0007%で、大半は問題のないレベルです。放射能検査は無料ですが、証明書の発行には1検体につき3000円かかります。
自家用の干柿(美濃柿)は、4.43ベクレルでしたが、福島県名産のあんぽ柿は100ベクレル以上で全て出荷停止になったそうです。斎藤さん家の裏山ではタケノコも生え、これもキノコなどと同様に放射能の値が高く出やすいものですが、5(±6)ベクレルだったので、ゆがけばもっと減るので食べているそうです。これらの検査に1回3000円かかりますが(補助が出ての金額)、一々こんなことをしなければならない現状は悩ましいことです。一番心配なのは2010年に家の暖房を薪ストーブにしたことで、灰を計ったところ2012年は3700ベクレル/kgで基準の8000ベクレル(低レベル放射性廃棄物のレベル)よりは何とか低かったのですが、13年はリンゴ農家の剪定枝を薪にして 12200ベクレルという高いレベルが出て、灰の始末は自分の仕事で慎重に行い、まだ乳飲み子の孫はストーブにも近づけないようにしています。家の空間線量は0.032ベクレル、ストーブ前でも0.048ベクレルで全く問題ないレベルとのことです。
空間線量の高い(0,3 ベクレル程度)二本松地区で大学の先生たちと農地や農作物における放射能に関する共同研究を行っていますが、農業を行うことで放射能の害を減らせることが分かってきました。それはこの地域が粘土質の土壌なので、放射性セシウムが耕すことで粘土に取り込まれ作物に移行しにくくなることが明らかになってきたということ。そして有機質を多く使った有機農業の農地の方が、そのような傾向がより強いそうです。半減期が長くとても農業などできない死の土地も生まれましたが、少し希望の持てる話しです。田んぼでも、水口にゼオライトのような放射性物質を吸着しやすいものをおき放射性物質をブロックする試みもされています。まだ2年間の研究で分からないことが多いのですが、これからも続けて行かなくてはなりません。営農活動によって地域のコミュニケーションを維持することも大事なことです。除染作業(初期に行われていた高圧洗浄はほとんど意味がないか排水処理をしなければ逆に悪影響がある)は進んでいませんが、少しでも食物による内部被爆を防ぐため、放射性物質を排出する作用のあるペクチンを多く含むリンゴを給食に取り入れたり、色々な対策をしています。
原子力は結局利権の問題であり、核武装能力を維持したいという隠された軍事目的の国策でもありました。この原発事故を機に、この国のあり方を、地方から変えなくてはなりません。明治時代に足尾鉱毒に反対し農民と共に闘った田中正造は、「真の文明は、山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」と言いました。原発は、全くその反対のものでした。(ちなみに、酪農学園を設立した黒澤酉蔵は、その田中正造に感動して弟子入りした人で、その後デンマークを見習おうと北海道に移住しました)自民党政府は、凝りもせず原発ゼロ政策を放棄して原発再稼動に向けて着々と準備を進めています。未だに経済の問題を理由に、原発を再び動かそうとしています。再稼動の判断を任された新しい原子力規制委員会も、原子力の専門家などが参加していますが、技術的なことばかりで本質には触れません。ドイツで原発をやめて自然エネルギーに転換するように政策を変えさせたのは、倫理委員会であって原子力専門家ではありません。聖書にあるように、人間は神と富とに兼ね仕えることはできないのです。生命を基準に考えたとき、原発を動かすという選択肢はないでしょう。
以上、福島の現地の状況を生の声できくことができ、大変勉強になりました。
>>>その2につづく