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第18回「農業と食べ物を考える会」その2

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 一日目の講演会の後は、食堂でビール(発泡酒)・ジュースを飲みながらの懇親会でした。ジュースはうちから持参したぶどうジュースと、同じ余市で60名以上が共同生活を営んでいる惠泉塾からの差し入れで洋梨(バートレット)のジュースも飲み放題でした。私は、農民オーケストラの花巻演奏会の紹介の報告を少しして、ヴァイオリンも弾きました。十八番のユーモレスクを弾いたあと、ツィゴイネルワイゼンも一部弾きましたが、大分酔っ払っていたので、かなりテキトーでした。上富良野の高松夫妻からは、40年続けてきた三愛塾を、今年度で地域の中学校が廃校になるのにも併せて区切りにしたいとのことで、今年秋にでも何か演奏をして欲しいと依頼されました。布団に入ったのは、深夜0時過ぎ。私はちょっと飲みすぎたのか、翌日頭が痛かったのですが、鼻水止まらずどうも風邪をひいたようです。

イメージ 1 2日目、7時起床。7時半から朝の礼拝でした。司式・メッセージは道北クリスチャンセンターの藤吉求理子牧師、讃美歌(21)は第386番「人は畑をよく耕し」を歌い、私はオルガン伴奏を務めました。聖書の箇所は、偶然ですが前日の朴牧師と同じ創世記の第2章で、15節にある「耕す」という言葉には、ヘブライ語で「仕える」という意味もあることを説明してくださいました。人間が土を支配するのではなく、土の声をきいて仕えなければならないのではないかということです。酪農学園の理念である三愛主義「神を愛し、人を愛し、土を愛す」について、酪農学園出身でデンマークに学び瀬棚フォルケホイスコーレを作った河村正人氏は(現在JICAシニアボランティアでウガンダに行っている)、「神に愛され、人に愛され、土に愛される」ということでもあると述べていたとのことです。神は創造されたものをみて、全て良しとしたのであって、誰が誰よりすぐれているということはなく、誰も一つとして同じものはない多様性をもった誰もが神に愛されて調和のとれた世界が創られているのです。そのことを、同じ道北センターのウィットマー恵子さんが作られたというキルトのタペストリーで説明してくださいました。藤吉さんは、18年前この会の第1回の開催された3日前に来道し、以来道北センターに勤めていましたが、今年6月から1年間道北センターを離れてカナダ合同教会で勉強されるとのことです。カナダ合同教会から派遣されて30年以上も北海道にいるウィットマー牧師も、近々戻られるかもしれないとのことでした。さびしくなります。
 
 8時からは、パンの朝食。道北の士別で立体農業を実践する五十嵐農場の手作りヨーグルトに手作りベリーソース(ラズベリー、ブラックベリー)もいただきました。
 9時から、シンポジウムでした。泊原発から30km圏内の余市町で有機農業を営み、福島原発事故後、直ちに「泊原発を止める会」を立ち上げた私、前日基調講演をしていただいた斎藤仁一氏、酪農学園大学で長らく宗教主任を務め、ボランティア活動やNGO・NPO論をテーマとして東日本震災が起きてからは文科省の後押しも借りて、酪農学園大の学生ボランティアを250名、延べ700日東北地方(福島以外)に派遣した高橋一牧師(朴牧師と一緒にこの3月で早期退職されます)の3名のパネリスト、道北センターのウィットマー牧師の司会で行いました。私は、数日前このブログに書いた「原発のウソ」のコピーなどいくつかの資料などを配り、どのようなきっかけで活動を始め、どのような運動をしているか。今後も粘り強く、原発の再稼動を市民の声で食い止めなくてはならないということを述べました。
 高橋牧師は、この東日本大震災と原発事故でよく聞いた「想定外」という言葉、これは専門家が自らのやるべきことを放棄したお手上げ状態ということであり、一番大事なことは今まで出会ったことのないものに出会った時にどうするか対処する力をつけることであると述べました。ヒロシマ・ナガサキの原爆投下・日本の敗戦により、それまで国や報道が伝えてきたことが覆されたように、東日本大震災・フクシマの原発事故という未曾有の出来事により、我々も多くのことを気づかされました。被災地へ行ったボランティア学生たちは、様々な意味でコミュニケーション能力を高めました。被災地の現状を目の当たりにした時、まずメディアの報道とのギャップに衝撃を受けます。そこから情報とのコミュニケーション能力を学びます。また、目にした光景から学ぶ非言語的コミュニケーション能力、饒舌に語る被災者や何も語ろうとしない被災者と様々な人に出会うことで学ぶ異論や敵対する者とのコミュニケーション能力、それらの実体験を宿舎で振り返るリフレクションの時間の中で、共に活動した学生たちとの分かち合い(シェアリング)、現地NGOコーディネーターによる自己を顧みる訓練のなかで自分自身の内面とのコミュニケーション能力、最後には時間がかかることですが、人知では計り知れない人間存在を超える存在へのコミュニケーション能力が、人間の真の成長と成熟に深い意味を持つのではないだろうかとのことでした。


 各パネリストからの発題のあと、参加者からの質問や意見を募りましたが、なかなか重いテーマであり簡単に答えが見つかるものでもありません。平取の井澤さんから、福島からの避難民は「難民」と呼んでいいのかどうかという質問がでましたが、ウィットマー牧師からは英語のrefugeeは政治的な理由で外国に亡命した人のことを言うということです。日本は決して難民にとって暮らしやすい国ではありませんが、酪農学園大学では、先日ソマリア難民の学生が日本で初めて難民として博士号をとったそうです。インターネットには「勇気があるから難民なんだ」という標語を掲げた難民のポスターがあるそうです。福島から避難した人を難民とは呼べないかもしれませんが、逃げたことを避難するのは間違いであって、残るのも勇気がいることかもしれませんが逃げることも勇気のいることであったでしょう。
 日本キリスト教団東北教区にある被災者支援センター「エマオ」でボランティア活動をした酪農学園大学1年生のHさんが、ボランティア活動について役に立っているのかどうか悩み行き詰った時、被災者から頑張っているボランティアの姿に元気付けられるという話を聞いて慰められたという感想も紹介されました。


 11時から事務局の井上昌保さんの司会で総会、その後閉会礼拝では野幌教会の森宏士牧師の司式で、賛美歌(21)第300番を歌い、私はここでもオルガン伴奏を務めました。森牧師も、創世記第2章の話をしようと考えていたそうですが、出エジプト記第10章第8節からを読まれ、エジプト脱出の時にも、ノアの箱舟もそうだったように、羊や牛も家族同様に一緒に連れて行ったのに、そうできなかった福島の人たちの苦悩について語られました。
 最後に、お昼のカレーを皆でいただいて、解散いたしました。

 私は、この後札幌で北海道農民管弦楽団の事務局長S氏と喫茶店で待ち合わせて3月22~24日に花巻公演での最終実行委員会、金星少年少女オーケストラの第2回演奏会および釜石公演のお手伝い、来年1月26日Kitaraでの20周年記念演奏会の企画、20周年記念誌の編集作業などについて3時間あまり打ち合わせをしました。黒沢記念室内楽演奏会(これは8月酪農学園で開催の予定)についても相談しました。こちらは、私がコンサートマスターでS氏が指揮者と立場が逆転します。

 ちょっと風邪気味で調子が悪かったので、暑い温泉に入って早く治そうと考え、帰りは手稲温泉「ほのか」に寄って帰りました。ここの岩盤浴というのが大変に気持ちよく、私は昨年初めて体験してから、大変気に入っています。岩盤浴は無料で湯着というものを貸してくれて男女共用なのですが若い女性が大変多く、年配の男性はサウナ(これも高温と低温スチームの2種類あります)はよく利用していますが、岩盤浴にはそれほどいません。岩盤浴も温度やアロマを変えて5つくらい部屋があるのですが、一部屋は貸切りで今はやりのホットヨガ教室というのをやっていました。


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