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農民芸術学校というヴィジョン

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 子どもの頃から夢想家だった。夢(ドリーム)と幻(ヴィジョン)とは、どう違うのだろうか? 夢は単に人間の思いに過ぎないが、神の計画に適ったものが、ヴィジョンなのかなあと思う。つまり、ヴィジョンは神から与えられるものなのだ。神を信じる者は、ヴィジョンを見なくてはならない。

 小学5~6年生の頃(1970年代前半)から、世界の終わりが近いと感じるようになった。

 レイチェル・カーソンの「沈黙の春」(当初の邦題は「生と死の妙薬」)、有吉佐和子の「複合汚染」、ローマクラブの「成長の限界」などを読み、生態系の破壊による破滅的な時代が近づいていると感じた。
 ジョージ・オーウェルの「1984年」、オルダス・ハックスレーの「すばらしき新世界」などの、アンチ・ユートピア小説も色々と読み、超管理社会や核戦争による終末的な時代がやってくるとも思った。

 そんな世界から逃げることを考えた。ウィルダネスを求めて、ロビンソン・クルーソーのようにサバイバル生活をすることを夢見た。谷口尚規・石川球太「冒険手帳」(1972年、主婦と生活社刊、2005年に他社より復刊されている)という本がバイブルのようになり、この手の本を片っ端から集めた。使いもしないのに、小遣いをためてサバイバルナイフを買って宝物にした。
 この癖は今でも直っていない。最近は、千松信也著「ぼくは猟師になった」という、京大を出てわな猟師となった男の本を買って読んだ。農家になる前、ワイン会社に勤めていてアメリカに出張に行ったときは、日本では決して買えない動物を仕留めるための矢と弓(コンパウンドボウ)をこっそり買って日本に送り、今も宝物にしている。鉄砲での狩猟はする気にならないが、日本では法律で禁じられている弓矢による猟には心うづくものがあるのだ。これは、縄文人のDNAを受け継いでいる本能だろうと思う。

 一方で、ふとしたことからキリスト教の教会に通うようになり、イエスの愛の教えに感激し、愛である神を信じるようになった。6年生の時のクリスマスに洗礼を受け、次のイースターが4月だったので中1になってすぐ堅信を受けた。大人と一緒にパンと葡萄酒のミサを受けられるようになったのがうれしかった。高校卒業まで、サーバーやオルガニストという礼拝奉仕を続け、毎週の日曜礼拝を欠席することはほとんどなかった。高校時代は、友人の家でレコードを聴いたり河川敷でテニスをしたり、部活も恋もして、受験勉強をした記憶がほとんどない。

 NHKで放映されていた「大草原の小さな家」が大好きで、開拓時代のキリスト教信仰に基づいたナチュラルな暮らし、教会を中心とした村のコミュニティーのようなものにもあこがれるようになった。アメリカの開拓時代の生活の知恵を聞き書きした「Foxfire」という英語の本、1巻が数百ページの本を7巻くらいまで、わざわざアメリカから取り寄せてまで買い、辞書に載っていない単語もたくさんあるのに苦労しながら読んだ。

 エコロジー(生態学)を勉強しようということと、北海道のウイルダネスを踏破してみたいと思って、北海道大学に入ったが、福岡正信「自然農法~緑の哲学の理論と実践」(1974 時事通信社、かなり前から絶版)に非常に感銘を受け、それから有機農業関係の本を読み漁り、世界を救うためには有機農業しかないと確信する。また、自給コミューンにも興味を持ち、有機農業を実践している農家や共同体(まだできたばかりだった新得町や小平町寧楽の共働学舎など)を訪ね歩いたりもした。
 一方で、オーケストラに入り、子どもの頃に習っていたヴァイオリンをもう一度やり直し、こんなに面白いものが世の中にあったということに感激。宮澤賢治の「農民芸術概論綱要」にも共鳴し、大学を出たら30歳までに北海道で有機農業を始め、彼が果たせなかった農民オーケストラを創ろうと決心する。

 農民オケは40歳くらいまでにと考えていたが、計画通り30歳で就農して2年もしたら、有機農業の仲間がやろうやろうと言うので、とにかくこの広い北海道からメンバーをかき集めて作ってしまった。実態は、農民オケというより農業関係者オケというところだが、公演を重ねるうちに徐々に各地の農民も入ってくれ、当初は農民でなかったメンバーが実家の農業を継いだりして何人も農民になって行った。念願の海外公演も、昨年2月に果たした。
 
 しかし、まだ本当にやりたいことが果たせていない。破滅的な世界を救うための未来社会のモデルとなり得る、自給共同体の建設である。昔はコミューンと言っていたが、どうも閉鎖的なカルトの悪いイメージがつきまとうようになり、最近ではエコヴィレッジという方がいいようだ。そして、農民オケも、もっと地に足のついた活動をしたいということと、芸術的に完成度の高いものを目指したいということで、学びの場の必要性を感じ、新たなヴィジョンとして農民芸術学校の構想が生まれた。これが、もう10年くらい前の話。だが、日常の諸々の仕事に追われてしまい
なかなか始めの一歩を踏み出すのが難しかった。

 そこに、この構想を後押しする人物、Tさんが昨年春にこの農場にやってきて、夏には30年来のお付き合いだったOさんが神奈川から農場を訪問してくれ、一人ではどうあがいても無理だったところに、強力な助っ人が次々と現れた。そして、同じような学校を目指しているNさんも協力を約束してくれ、ようやく本格的に開校を目指しての、具体的なプラン作成に取り掛かることになった。明日、農民芸術学校設立準備第1回の世話人会を開催する。


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