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フェリス女学院大学大倉ゼミ(多文化共生学)フィールドワーク

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8月31日~9月1日にかけて、一昨年に引き続き、大倉一郎教授のゼミ生10名が北海道にてアイヌ民族・在日コリアンについての学びと共に植民地・移民としての北海道農業を学ぶ一貫で「えこふぁーむ」を来訪。農場見学のあと、農作業体験。
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イモ堀りの前に、背丈ほどに伸びた草をまず抜く作業!

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とりあえずの目標まで、もう一踏ん張り。

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10m×6畝くらい草を抜いたところで、ようやく芋掘りにとりかかります。
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スコップなど使ったことないお嬢様たち。少林寺拳法をやっているというつわものもおりましたが、ちょっと心もとないです。
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思ったより、収量がありました。今年のイモのできは、昨年より良いです。

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これから、宿泊・食事(バーベキュー)をする余市教育福祉村に第一陣が向かいます! 残りのメンバーはミニトマトの収穫です。

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第2陣、街中ではとてもできないことで、はしゃいでおります。
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NPO法人余市
教育福祉村も20年目を迎えます。左にログハウスがあり、右のセンターハウスに泊まります。他にいくつかの施設が敷地内にあり、大勢の会員が利用しています。
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肉屋で買った肉のほか余市でとれたイカにエビ、そしてえこふぁーむの野菜(トウキビ、パプリカ、ズッキーニ、米ナス、インゲン、カボチャ、ジャガイモ、ミニトマト)を焼きました(イモ、トウキビ、カボチャは下茹で)。えこふぁーむのブドウ果汁をワインで割って乾杯しました。


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女学生のみなさん、深夜遅くまでスマホを使って人狼ゲームに興じておりました。

2日目の朝の講話にて、私は次のようなことを話しました。余市は、明治政府による北海道開拓(アイヌの立場からは侵略)以前から松前藩などにより和人が居住していた道内としては古い町(アイヌとの交易施設である運上屋の建物が唯一現存)であるが、開拓使の配布したアメリカからの苗木により日本で最初にリンゴ栽培が始まった果樹の町であり、その栽培を成功させたのは、明治政府を樹立した薩長連合に敗れて余市町(旧山田村)の開拓を担った旧会津藩士たちでありました。そして現在、国の農業政策により北海道のみが離農により規模拡大が進んだ(平均経営面積が道外の10倍以上)中で、果樹栽培には多くの手作業が必要なため規模拡大が困難であるため余市町の農業経営面積は全国平均とほとんど変わらず、離農地の穴埋めに新規就農者をおそらく全国一受け入れている自治体なのです(私も含め過去30年で100人近くが新規就農していると思われる)。

先日、札幌市議の金子やすゆき(自民会派からその後離脱勧告処分)という男が、「アイヌ民族なんて、いまはもういない」という妄言を吐き、謝罪も撤回もしないと開き直っているが、即刻辞職すべきであるし、在特会等がデモで行っているヘイトスピーチも、言論の自由として認めてはならず差別行為=犯罪として取り締まるべきであろう。日本には、日本民族だけではなく、アイヌ民族、琉球民族という先住民族、かつての植民地時代の強制連行や終戦後の母国分断等により在日を強いられた朝鮮民族、最近では日系ブラジル人など、多様な民族の存在する社会であることを、認めなくてはならないだろう。外国からは、日本も中国並みの人権後進国と見られている。警察の留置場など、諸外国では存在しない前近代的な代用監獄制度なども、早期に撤廃すべきであると考える。
→琉球民報記事 8月30日 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-230843-storytopic-3.html

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