Quantcast
Channel: 農民芸術学校ブログ
Viewing all articles
Browse latest Browse all 407

地神祭

$
0
0
地神祭(9月23日、八幡神社)

 「えこふぁーむ」のある地域は、行政上は余市町登町であるが、区会(町内会)では黒川町八幡(やはた)区会に属しており、ここは明治時代に、黒川毛利農場という現在の余市町黒川町から仁木町北町に及ぶ700町歩もの大農場であった地域である。その後、地主が何度か変わり、大正時代からは駒谷農場という名前になり、太平洋戦争まっただ中の昭和19年に小作達が地主と交渉し、全国でも極めてまれな例であるが戦後GHQによる農地解放令を待たずして、昭和19年9月に394町(ha)の農地が駒谷氏から137名の農家に無償開放され、農地以外の防風林、運動公園、生活館、神社などの土地は共栄組合により共同管理されることになった。

 私は、この地域に所属する農家であり、戦後の新規就農者であるため共栄組合には入っていないが、区会はもちろんのこと、道路愛護組合、神社氏子の班などには所属している。クリスチャンなので、どうしようかちょっと迷ったこともあったが、一応地域の行事等には参加したいので、神社のお祭りには寄付をし、当番も務めている。もちろん他の農家もすべて、どこかのお寺の檀家になっていることは当然だ。

 そして、八幡神社(かつては登川丘陵上にあったが昭和31年の台風で大破し、黒川八幡生活館の向かいの現在は住宅地に囲まれた場所に移転した)には、現在離農者も増えて100戸に満たなくなった農家が氏子となっていて、6班に分かれ、3年ごとに春祭(5月15日、かつては秋祭もあった)および元旦と、地神祭のどちらかの当番が3年ごとに回って来るのである。今年は我々の班(12戸)が地神祭の当番に当たっていて(次回は3年後の正月と春祭)、前日に「五穀五祖神」の旗を立て、祭の当日は余市神社から神主を招いて、祝詞をあげてもらい玉串を捧げ、農作業を半日休んで神社の中で食事をする。

 八幡神社の境内には五角柱の形をした石塔の地神さんがあって、「天照大神、少那彦命、植安姫命、稲倉魂命、大巳貴命」という五つの神様の名前がそれぞれの面に掘られている。正面に天照大神の名前が掘られていて、我々は自分たちの農場でとれた米、野菜(大根は必須)、果物(りんご、なし、ぶどう)を持ち寄り、前日に買っておいた鏡餅、お神酒(一升瓶)、魚(柳の舞)と塩も一緒に台座にお供えして、太鼓も準備して神主を迎える。余市神社の神主は、この一日で地神さんのある余市町内の神社すべてを回り、漁師町でも地神さんを祀っているところがあるらしく、植安姫命というのは海の神様らしい。

 私の所属している聖公会(英国国教系のプロテスタント)でも収穫感謝礼拝というものをやっているが、大体同じようなことをしている。大地の恵みを天に感謝するということは、すべての宗教にとっての原点であろうと思う。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 407

Trending Articles