北大農学部の先輩でもある日本を代表する作曲家の故伊福部昭氏は、北大交響楽団(前身の文武会管弦楽団)コンサートマスターとしても私の先輩であり、彼は20歳の時に同期の三浦淳史(のち音楽評論家)、早坂文雄(のち作曲家)と共に「新音楽連盟」を結成して「第1回国際現代音楽祭」を札幌の丸井記念館にて開催し(1934年)、海外の現代曲を多数初演しています。当時の札幌の文化が東京を飛び越えて世界と直接つながっていたことにも驚かされますが、専門に音楽教育を受けていない二十歳そこそこの学生たちが、このような音楽祭を世界に発信して行っていたということには驚愕せざるを得ません。
現代のように音楽でアマチュアとかプロだとか線引きするのは、何とナンセンスなことでしょうか。それで食べているかどうかをアマかプロかの区別とするのなら、音楽(演奏)だけで食べていける正真正銘のプロ音楽家が、果たして日本にどれだけいるのか疑問です。芸術とは、それを追及すればするほど、食えないものであると思っているからこそ、私自身は農民芸術というものを目指しているのです。
伊福部昭が「日本狂詩曲」というオーケストラ曲でチェレプニン賞を受賞したのは、北大を卒業した年、釧路郊外の厚岸森林事務所に林務官として赴任して間もなくの時で、その後敗戦まで10年以上北大演習林など各地で勤務しながら作曲活動と演奏活動を続けます。そして、敗戦直前に宮内省林野局で戦闘機のための強化木を作る目的で木材に放射線を当てる試験を担当し、放射線障害で喀血して倒れ1年近い療養生活を余儀なくされます。のちに映画「ゴジラ」の音楽を担当して「ゴジラ」の作曲家として知られるようになったことは、それが彼の代表作であるからだけではないのです。怪獣ゴジラは、水爆実験の放射能を浴びて生まれた奇形生物であって、彼とゴジラは奇しくも同じ体験を経て世界的に知られるようになったという点で、まさしく唯一同一の存在でもあるのです。
ところで、伊福部昭も私も私の娘も(笑)コンサートマスターを務めたことのある北大交響楽団の創立は1921年と、全国でも最も古い歴史をもつオーケストラの一つであり、1920年創立の東大管弦楽団よりは1年遅れですが(日本最古のオーケストラは1909年創立の九大フィル)、NHK交響楽団(前身の新交響楽団が1926 年創立)よりも早いのです。また、1876年に開設された札幌農学校(北海道大学の前身)は、日本最初の大学とされる1877年創立の東京大学より実は1年早く、アメリカより教授陣を招いて日本で最初に学士号を取得できる学校として設立されたのであり、札幌は東京経由ではない文化や教育の先進地であったのです(すべて過去の話であり、果たして現在は・・・)。
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ゴジラの作曲家
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