9億円余りする国有地を実質200万円で売却したことも大問題だが、その土地に建てる小学校の名誉校長に安倍首相夫人を据え、安倍晋三記念小学校と名付けて寄付を集めていたのだから何をか言わんや。もはや、うやむやにすることは許されないが、一番の問題はこの学校法人の理念である。この森友学園が経営する塚本幼稚園では、園児に教育勅語を暗唱させ、童謡の代わりに軍歌を歌わせる。私学だから何を教えようが法には触れないのかもしれないが、教育勅語はないだろう。戦前の日本を狂わせ、戦争に導いた元凶である。まあ中国で言えばかつての「毛沢東語録」みたいな、全体主義の象徴的存在である。天皇なんて、そんなに偉い人だと知らなかった日本人が大半だった時代に、日本国中隅から隅まで幼少の頃から天皇を崇拝する心を植え付けさせ、そのような天皇中心の「国体」に逆らうことは日本人としてあってはならぬことという教育を徹底させた、短いながらも日本天皇教のバイブルとも言えるものである。
ドイツでは戦後ナチズムを徹底的に批判して、ヒットラーの主著「わが闘争」の出版も近年までずっと認めて来なかったが、日本では「わが闘争」なんて、いくらでも文庫本で本屋に並んでいる。しかし、原本にある東洋人や日本人が劣等人種であるとする差別思想は、正しく翻訳されていないようだ。そして、「教育勅語」なんか、今時その内容を学校で教えられることなどあるはずないと思っていたが、それを復活させようという人たちが「日本会議」を始めとして現役の国会議員(特に現在の内閣中)に大勢いるらしいのだから、恐れ入る。この「教育勅語」なるものは、明治天皇が自ら語ったという形「朕(ちん)惟(おも)うに・・・」をとってはいるものの、日本にかつてからあった儒教的道徳(元々中国や朝鮮から入ったわけだが)に、西欧の王権神授説に倣って薩長中心の明治政府が作り上げた絶対主義的天皇制を結びつけたものであって、個人の人権を一切認めない全体主義的思想で塗り固められている。
敗戦後、このことの反省に立ち、「教育勅語」に代わるものとして戦後誕生したのが、旧「教育基本法」(1946)である。旧「教育基本法」第1条は、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。」としている。日本国憲法前文にも似た感動を覚える、民主的な人権思想に基づく、高邁な理想を掲げたものとなっている。
しかし2006年、時の自民党政権により全面的に改正された新「教育基本法」は、旧「教育基本法」の人権思想から相当に後退し、戦前同様の国家主義の復活を匂わせる改悪と言えるものとなった。新「教育基本法」では、旧法になかった「公共の精神を尊び」とか「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」などという文言が付け加えられ、まあそれはそれでよしとしても、一番の問題は第10条の改正(改悪)である。
改正前:第10条 教育は、不当な支配に屈することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
改正後:第10条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の元、公正かつ適正に行われなければならない。
改正後:第10条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の元、公正かつ適正に行われなければならない。
改正前と改正後、似ているようで、実は正反対のものとなっている。旧法の当初案「教育基本法要綱案」(1946.12.21)では、「教育は、政治的又は官僚的支配に服することなく、国民に対し独立して責任を負うべきものであること。学問の自由は、教育上尊重されなければならないこと。」となっていた。つまり旧法は、教育が時の政府や国家から自由・独立であることを意図したものであったのに対して、後者は全く逆に、たとえば教職員組合などを想定して、国や地方のやり方に反対するものを封じ込めようとする意図が見え見えで、都合のよい法律さえ作ってしまえば、いくらでも教育の自由を奪うことができるようになっているのである。現在の自民党政府がやろうとしている憲法改正なども、これと全く同じ反動的復古主義以外の何物でもなく、資本主義や自由市場経済が招いた社会の弊害を、あたかも民主主義や平和主義が招いたかのように言い立てて国家主義的な政治を復活させようとする策動を許すわけには行かない。
敗戦直後の民主政治・民主教育の原点を探れば、ほとんど我が母校・北海道農学部の前身である札幌農学校の初代教頭クラーク博士の教えを直接・間接に受け日本の指導者となった者たち(「イエスを信じる者の誓約」に署名した第1期生全員と第2期生の大半=東大より古く日本で最初に学士号を得られるカレッジで学んだエリート中のエリート)に行き着くのである。現在の日本国憲法草案のモデルとなった「憲法草案要綱」を作ったメンバーの一人で1947年から1年の短命に終わった片山社会党内閣で文部大臣を務めた森戸辰男や、戦後最初の文部大臣となった前田多門、他にも文部大臣では田中耕太郎、安倍能成、天野貞祐などが、第2期生の新渡戸稲造と内村鑑三の両者から、薫陶を受けている。また、保守合同で誕生した自民党初の総裁となった石橋湛山は、甲府一中(私の妹の母校、甲府一高の前身)時代に校長であった第1期生の大島正健から教えを受け、自分自身もクラーク博士の弟子であると後日述懐している。クラーク博士の教え、クラーク精神とは一体どのようなものだろうか。
「大志を抱け」(Be ambitious)は余りにも有名であるが、その志とは富・地位・名声・権力といった個人に帰するものではなく、知識・知恵・正義・博愛といった社会に貢献するものである。そして、クラークは「紳士たれ」(Be gentleman)とも言ったが、これは何者も恐れない確固たる個人を確立し、自制・自立・質素・清潔を重んじる尊敬される人間になることである。何よりも大事なことは、自由・自主・独立・解放を重んじる不屈の精神であって、教育勅語のような儒教的精神とは全く異なり、誰かに忠義を尽くすとか、和を乱さないとか、そういうことを優先するようなものではないのである。周りがみんな間違ってしまっている時に空気を読んで和を乱さない日本人が、あのような勝ち目のない戦争やって日本中焼け野原にして原爆まで落とされ、地震列島を原発だらけにして津波による過酷事故で故郷を追われ、働き過ぎで過労死したり、いじめを受けて自殺したりするのである。また、個人を尊重するということは、差別を許さないということであり、弱者の側に立った利他精神に行き着くものでもある。クラークが教えた「イエスを信じる」ということは、そういう精神を重んじるということであって、キリスト教徒であるとかないとか、そんなことはどうでもよいことなのである。
さて、話を戻して教育勅語を重要なものとしている森友学園では、「日本人としての礼節を尊び、愛国心と誇りを育てる」(HPから)としているが、日本を深く愛した真の愛国者であった内村鑑三は、かつて「教育勅語不敬事件」を起こして国家(=天皇)に忠誠を尽くしていないとして第一高等中学校(現在の東大教養部)の教職を解かれた。本当は、お辞儀のやり方が中途半端だったということだけのようだが、今の時代でも、君が代(国歌?)斉唱の時に起立しなかったとかで、教員が懲戒処分されたりということがまかり通っている。全く、日本という国は、そういう個人の精神の自由を奪うようなことを許しておきながら、どうして北朝鮮や中国のことを批判できるのか。日本に難民申請する人を年間数十名しか受け入れていないのに、毎年何万人も難民を受け入れているアメリカのトランプが難民の入国を抑制しようとしていることを、どうして批判できるというのか。全く自分のことが見えていない日本人が、いい気になって日本ほどすばらしい国はないなどと言っているのには、呆れるばかりである。