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私はいかなる人間か?

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私は、いい加減な人間だ。大概のことは許せる。というよりも、こうしなければならない、という決まりとか縛りというものが、大嫌いである。典型的な天邪鬼と言ってよいだろう。こうしろと言われればやりたくないし、こうしてはいけないと言われればやりたくなる。これは私自身の生まれつきの性格であって、変えようとしても変えられない。子どもの時から、皆が集まって熱狂的になっていたら、そこには絶対に入りたいと思わずに、逃げて一人ぼっちになることを好んだ。そういう変な子どもだったし、それは今でも変わらない。

 子どもの頃に、たまたまキリスト教に出会ってクリスチャンになったが、それはイエスという人間が、自分によく似た性格だと感じたからなのかもしれない。キリスト教そのものを信じたわけではない。よくよく思い返してみても、イエスが神だなどと思ったことは一度もないし、聖書に書いてあることが神の言葉であるなどと思ったこともない。ただ、イエスという人間がとても好きになったし、自分もそんなイエスのように生きることができればいいと思ったから、クリスチャンになったのである。

 イエスのように生きるということはどういうことか。それは、この世において弱者である人々のことを愛し、そのためにこの世と闘うということである。イエスは最初バプテスマのヨハネの弟子であったが、彼のように荒野で仙人のように生きる道は選ばなかった。罪人として蔑まれた人たちと交わり、酒飲みで大食いと揶揄されもした。しかし権力には決して屈することなく、絶対に妥協しなかったので、最後には権力者の怒りを買い、熱狂する民衆からも見放され、十字架につけられ殺された。イエスのそういう生き方に、私は心底から共感できるのだ。

 権力とは何か。権力とは、原子力発電所を稼働させ、沖縄に米軍基地を作り、天皇を敬わせようとするものである。私は、そういうすべてのことに反対するし、庶民のささやかな暮らしを脅かすものすべてに、No!と言う。そして、Noとはっきり言うことができるように、私はサラリーマンにはならず、自分の必要とするものはできるだけ自給するという生き方を選んだ。もっともなかなか理想通りになど行かないし、自給できていないことの方がまだまだはるかに多いけれども、目指すところはウィルダネスに生きる完全自由人である。


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