3.11フクシマの原発事故により、原発推進派の人たちが今まで言って来たことの、ほとんど全てがウソだったことが、世間にバレてしまった。良識ある人には、ほとんどウソだと分かっていたことばかりなのであるが、「原発はコストが安い。原子力はクリーン・エネルギーである。原発は原子炉を何重にも防護しているので絶対安全である。日本の電力の3分の1は原子力が担っている・・・」等々、いずれも全くのまやかしであった。
「原発はクリーン」などはもっての外で、これが原発の最も大きな問題であると思うが、すべての生命に重大な危害を及ぼす高濃度の放射性廃棄物のゴミは、何十万年と人類が厳重に管理し続けなければならない(そんなことできるはずがない)という代物であり、その処理方法としては安定した地盤の地下深くに埋めるという案が有力ではあるものの、本当にそんなことで大丈夫なのか誰にも分からず、曲がりなりにもそのような施設ができたのはまだフィンランドの1ヶ所だけで、世界中で行き場のない放射性廃棄物はたまる一方である。プルサーマル発電とやらで燃料のプルトニウムをリサイクルできるなどというのは笑止千万であって、使用済のウラン燃料からたった1%のプルトニウムを回収して1度きり再利用するというだけの話。そのような燃料の再処理によって高濃度の放射性廃棄物は膨大な量にふくれ上がり、事故の危険性は何十倍にも増すのである。事故を起こさずとも再処理工場から放出される放射能は原発から出るものの何百倍になり、イギリスの再処理工場セラフィールドでもフランスのラ・アーグでも、その周囲から白血病の多発などが報告されている。
もし、原発が「絶対に安全」であれば、火力発電所がそうであるように、送電ロスがない都会のすぐそばに作ればよいのであって、世界中どこでもこれといった産業もない僻地にばかり建設されているのは、重大な事故を起こすリスクがゼロでないことが最初から分かっているからに過ぎない。万が一事故が起きた時には、僻地の方には我慢してもらいましょうということなのだ。原発誘致とは、危険を金で買っているのに過ぎない。チェルノブイリや福島で起きたことは、原発のある所であれば、どこで起きてもおかしくはないことなのである。原発を誘致した自治体も、そんなことは分かっていて当然なのだが、金に目がくらんで、まあ自分のところでは事故が起こらないだろうなどと都合よく考えてたかをくくり、その危険性には目をつぶっていたということに過ぎない。防災訓練などというものを、本気でやっていたとは、とても思えないのである。
「電力の30%は原子力が担っている(いた)」というのは、その分他の発電施設を休止していたからに過ぎず、別になくても困らなかったことは、3.11以降の原発稼働状況と電力需給の現況をみれば一目瞭然である。51基あった日本の原発が全て止まっても、どこも停電になどならなかったし、電気が不足することはなかったのである。それもそのはず、原発には最初から停止した時のためのバックアップ発電所というものが決められており、全部停止しても大丈夫なことは最初から分かっていた。最近では、世界一高い電力料金を避けて天然ガスコンバインド発電などで自家発電する企業も増えていて、原発なんかなくても、自然(再生可能)エネルギーの普及など急がなくても、電気に困るなんてことはないのである。
もはや、原発がないと停電するというウソの脅しをかけられなくなった電力会社は、今度は原発が止まっているために電気料金を値上げしなければならないという脅しをかけてきている。しかし、これは日本特有のいびつな電力料金のシステムがなせる技であり、原価償却の問題に過ぎないのであって、万が一にも原発のコストが安くて火力発電のコストが高いためではない。大体原発のコストが安いというのは、発電時の運転コストのことを言っているだけであって、真実ではない。原発の場合、需要に合わせて運転を調整することができないという決定的な欠陥があって、余乗電力をためておくための揚水発電などの調整システムが必要であり、このコストを含めると本当は一番発電コストが高いのだ。さらに実際は、設備の建設、廃棄物の処理、廃炉までをトータルに考える必要があり、そうすると他の発電方法とは比較にならないほど莫大なコストがかかっている。そして、今までないがしろにしてきた安全対策や事故が起きた場合の保障などまで含めれば、とてもつもない天文学的コストになってしまい、とても採算のとれるようなものではないのだ。
コスト一点だけを考えても、発電方法としてこれほど割に合わない方法はない。だから、電力の自由化をしたアメリカではどの電力会社も原発を作るのをやめてしまった。では、なぜ日本は今まで原発を推進しきたかのだろうか。元々、原発の本体である原子炉とは、核兵器を作るためのものであった。アメリカは、第二次大戦終結まぎわに世界で最初に核兵器の開発に成功、日本の敗戦を引き延ばしてウラン型原爆をヒロシマで無防備な市民の上に落とし、まだ実験もしていなかったプルトニウム型原爆をナガサキに落として大量殺戮兵器の威力を示した。日本を敗戦に導くには必要のなかった非人道的兵器の使用によって世界の覇者となったアメリカは、その後核兵器を製造する莫大なコストを回収するために、核兵器の製造に向かない低濃縮ウランによる原発を開発して、その設備と燃料を日本に売り込むことにしたのである。そして、冷戦後も作り過ぎてしまった核兵器を処分して原発の燃料とするため、日本に原発をどんどん作らせたわけである。そして、日本の中枢も将来的には核兵器を持つべきであるという考えの下に国策として原発を推進したのであり。アメリカも、東アジアで中国の力が強まることを牽制するためにそのことを容認し、核兵器製造以外には何の役にも立たない核燃料サイクル施設を日本が作ることを認めたのである。これらのことは、原発を推進してきた自民党の政治家や財界、外務省の官僚なども、はっきり認めていることである。安倍首相も石破幹事長も、原発は核兵器の潜在能力として持っているべきであり、核兵器を保有することは必ずしも憲法違反にならにというような発言を、過去にしている。原発は発電のためにあり、日本は核兵器を持つ気がないと思っているのは、ウソばかり信じ込まされている無知な国民だけである。
政府・電力会社・御用学者など原子力ムラの面々は、3.11以降も懲りずに躍起になって嘘八百を並べたててきた。その中で、まだ余りバレていないウソの一つに、原発はCO2を出さないから地球温暖化の防止になるというものがある。これは、何重にもウソだと言えるのである。まず、原発はCO2を出さないというのが、おかしい。確かに、原発の運転中は原発そのものがCO2を多量に発生することはない。しかし、ウラン燃料の採掘から発電所の建設、廃棄物の処理に至るまで、原発に伴う活動で発生するCO2は膨大になるという試算がされている。そして実際は、原発の運転そのものによっても大気中のCO2はかなり増えていると考えられるのである。はっきり言って、CO2地球温暖化説自体が科学的に検証されておらず最近ではどうも間違っているらしいと考えられつつあるのであるが、間違いなく言えるのは地球温暖化の「結果」としてCO2濃度が確実に高まっているということである。
原発というものは、その生み出す莫大なエネルギーの3分の1ほどしか電力に変換できない効率の悪いシロモノである。そして残りの3分の2のエネルギーは温排水として海に垂れ流しているのである。これで海水温をかなり上昇させており、原発はCO2を介さずに地球を暖めているのである。そしてこの海水温の上昇により海水からは多量のCO2が放出される。そういうわけで、原発から直接CO2を排出しないだけで、実は海洋からCO2が多量に出ているのであるし、温暖化の防止になるなどというのは真っ赤なウソなのである。そして、地球温暖化によりCO2が増えるのは、海洋からだけではない。私が大きいと考えているのは植物の呼吸量の増大によるものである。この説は、まだどの文献でも見たことがないのであるが、ぜひ誰かに試算して欲しいと思っている。
植物というものは、光合成によってCO2(炭酸ガス)を吸収してO2(酸素)を放出しているが、それだけではない。実際には植物も動物と同じように呼吸もしているのであり、酸素を吸ってCO2を出す働きもあるのだ。しかし、太陽の光を浴びている日中は、CO2を放出するよりも吸う方が多いので、見かけ上はCO2を吸収しているようにしか見えない。しかし、光合成のできない夜には、呼吸していることをはっきり確認することができる。そして、この呼吸量というものは気温に比例するのである。一方で、光合成の能力は温度でそれほど大きく変わらない。ある一定の温度を超えると逆に低下するくらいである。したがって、地球上の温度が高くなればなるほど、植物の呼吸量の増大によってCO2が増加するはずである。こんな当たり前のことを、なぜ誰も言わないのか、私には不思議でしょうがない。
とにかく、原発はなくすべきだ。定期点検の時に、放射能に汚染された設備を雑巾がけし、命を縮めることで賃金を得ている被爆労働者の存在なしには運転できないような代物である。労働者を差別し、地方を差別し、事故が起きたら美しい国土が何十年何百年も人の住めない汚された土地になってしまう。電気を作り出すためにそんな施設を作る必要が、どこにあるだろうか。国民をだましてまで原発を維持しようとするのは、軍事目的以外にはない。そしてそのような強力な軍備というものは、外国の驚異から国民を守るために必要なものなんかではない。軍備とは、軍産官複合体の利益を守り、国民に反抗させず、黙って奉仕させるためだけにあるのだ。
「原発はクリーン」などはもっての外で、これが原発の最も大きな問題であると思うが、すべての生命に重大な危害を及ぼす高濃度の放射性廃棄物のゴミは、何十万年と人類が厳重に管理し続けなければならない(そんなことできるはずがない)という代物であり、その処理方法としては安定した地盤の地下深くに埋めるという案が有力ではあるものの、本当にそんなことで大丈夫なのか誰にも分からず、曲がりなりにもそのような施設ができたのはまだフィンランドの1ヶ所だけで、世界中で行き場のない放射性廃棄物はたまる一方である。プルサーマル発電とやらで燃料のプルトニウムをリサイクルできるなどというのは笑止千万であって、使用済のウラン燃料からたった1%のプルトニウムを回収して1度きり再利用するというだけの話。そのような燃料の再処理によって高濃度の放射性廃棄物は膨大な量にふくれ上がり、事故の危険性は何十倍にも増すのである。事故を起こさずとも再処理工場から放出される放射能は原発から出るものの何百倍になり、イギリスの再処理工場セラフィールドでもフランスのラ・アーグでも、その周囲から白血病の多発などが報告されている。
もし、原発が「絶対に安全」であれば、火力発電所がそうであるように、送電ロスがない都会のすぐそばに作ればよいのであって、世界中どこでもこれといった産業もない僻地にばかり建設されているのは、重大な事故を起こすリスクがゼロでないことが最初から分かっているからに過ぎない。万が一事故が起きた時には、僻地の方には我慢してもらいましょうということなのだ。原発誘致とは、危険を金で買っているのに過ぎない。チェルノブイリや福島で起きたことは、原発のある所であれば、どこで起きてもおかしくはないことなのである。原発を誘致した自治体も、そんなことは分かっていて当然なのだが、金に目がくらんで、まあ自分のところでは事故が起こらないだろうなどと都合よく考えてたかをくくり、その危険性には目をつぶっていたということに過ぎない。防災訓練などというものを、本気でやっていたとは、とても思えないのである。
「電力の30%は原子力が担っている(いた)」というのは、その分他の発電施設を休止していたからに過ぎず、別になくても困らなかったことは、3.11以降の原発稼働状況と電力需給の現況をみれば一目瞭然である。51基あった日本の原発が全て止まっても、どこも停電になどならなかったし、電気が不足することはなかったのである。それもそのはず、原発には最初から停止した時のためのバックアップ発電所というものが決められており、全部停止しても大丈夫なことは最初から分かっていた。最近では、世界一高い電力料金を避けて天然ガスコンバインド発電などで自家発電する企業も増えていて、原発なんかなくても、自然(再生可能)エネルギーの普及など急がなくても、電気に困るなんてことはないのである。
もはや、原発がないと停電するというウソの脅しをかけられなくなった電力会社は、今度は原発が止まっているために電気料金を値上げしなければならないという脅しをかけてきている。しかし、これは日本特有のいびつな電力料金のシステムがなせる技であり、原価償却の問題に過ぎないのであって、万が一にも原発のコストが安くて火力発電のコストが高いためではない。大体原発のコストが安いというのは、発電時の運転コストのことを言っているだけであって、真実ではない。原発の場合、需要に合わせて運転を調整することができないという決定的な欠陥があって、余乗電力をためておくための揚水発電などの調整システムが必要であり、このコストを含めると本当は一番発電コストが高いのだ。さらに実際は、設備の建設、廃棄物の処理、廃炉までをトータルに考える必要があり、そうすると他の発電方法とは比較にならないほど莫大なコストがかかっている。そして、今までないがしろにしてきた安全対策や事故が起きた場合の保障などまで含めれば、とてもつもない天文学的コストになってしまい、とても採算のとれるようなものではないのだ。
コスト一点だけを考えても、発電方法としてこれほど割に合わない方法はない。だから、電力の自由化をしたアメリカではどの電力会社も原発を作るのをやめてしまった。では、なぜ日本は今まで原発を推進しきたかのだろうか。元々、原発の本体である原子炉とは、核兵器を作るためのものであった。アメリカは、第二次大戦終結まぎわに世界で最初に核兵器の開発に成功、日本の敗戦を引き延ばしてウラン型原爆をヒロシマで無防備な市民の上に落とし、まだ実験もしていなかったプルトニウム型原爆をナガサキに落として大量殺戮兵器の威力を示した。日本を敗戦に導くには必要のなかった非人道的兵器の使用によって世界の覇者となったアメリカは、その後核兵器を製造する莫大なコストを回収するために、核兵器の製造に向かない低濃縮ウランによる原発を開発して、その設備と燃料を日本に売り込むことにしたのである。そして、冷戦後も作り過ぎてしまった核兵器を処分して原発の燃料とするため、日本に原発をどんどん作らせたわけである。そして、日本の中枢も将来的には核兵器を持つべきであるという考えの下に国策として原発を推進したのであり。アメリカも、東アジアで中国の力が強まることを牽制するためにそのことを容認し、核兵器製造以外には何の役にも立たない核燃料サイクル施設を日本が作ることを認めたのである。これらのことは、原発を推進してきた自民党の政治家や財界、外務省の官僚なども、はっきり認めていることである。安倍首相も石破幹事長も、原発は核兵器の潜在能力として持っているべきであり、核兵器を保有することは必ずしも憲法違反にならにというような発言を、過去にしている。原発は発電のためにあり、日本は核兵器を持つ気がないと思っているのは、ウソばかり信じ込まされている無知な国民だけである。
政府・電力会社・御用学者など原子力ムラの面々は、3.11以降も懲りずに躍起になって嘘八百を並べたててきた。その中で、まだ余りバレていないウソの一つに、原発はCO2を出さないから地球温暖化の防止になるというものがある。これは、何重にもウソだと言えるのである。まず、原発はCO2を出さないというのが、おかしい。確かに、原発の運転中は原発そのものがCO2を多量に発生することはない。しかし、ウラン燃料の採掘から発電所の建設、廃棄物の処理に至るまで、原発に伴う活動で発生するCO2は膨大になるという試算がされている。そして実際は、原発の運転そのものによっても大気中のCO2はかなり増えていると考えられるのである。はっきり言って、CO2地球温暖化説自体が科学的に検証されておらず最近ではどうも間違っているらしいと考えられつつあるのであるが、間違いなく言えるのは地球温暖化の「結果」としてCO2濃度が確実に高まっているということである。
原発というものは、その生み出す莫大なエネルギーの3分の1ほどしか電力に変換できない効率の悪いシロモノである。そして残りの3分の2のエネルギーは温排水として海に垂れ流しているのである。これで海水温をかなり上昇させており、原発はCO2を介さずに地球を暖めているのである。そしてこの海水温の上昇により海水からは多量のCO2が放出される。そういうわけで、原発から直接CO2を排出しないだけで、実は海洋からCO2が多量に出ているのであるし、温暖化の防止になるなどというのは真っ赤なウソなのである。そして、地球温暖化によりCO2が増えるのは、海洋からだけではない。私が大きいと考えているのは植物の呼吸量の増大によるものである。この説は、まだどの文献でも見たことがないのであるが、ぜひ誰かに試算して欲しいと思っている。
植物というものは、光合成によってCO2(炭酸ガス)を吸収してO2(酸素)を放出しているが、それだけではない。実際には植物も動物と同じように呼吸もしているのであり、酸素を吸ってCO2を出す働きもあるのだ。しかし、太陽の光を浴びている日中は、CO2を放出するよりも吸う方が多いので、見かけ上はCO2を吸収しているようにしか見えない。しかし、光合成のできない夜には、呼吸していることをはっきり確認することができる。そして、この呼吸量というものは気温に比例するのである。一方で、光合成の能力は温度でそれほど大きく変わらない。ある一定の温度を超えると逆に低下するくらいである。したがって、地球上の温度が高くなればなるほど、植物の呼吸量の増大によってCO2が増加するはずである。こんな当たり前のことを、なぜ誰も言わないのか、私には不思議でしょうがない。
とにかく、原発はなくすべきだ。定期点検の時に、放射能に汚染された設備を雑巾がけし、命を縮めることで賃金を得ている被爆労働者の存在なしには運転できないような代物である。労働者を差別し、地方を差別し、事故が起きたら美しい国土が何十年何百年も人の住めない汚された土地になってしまう。電気を作り出すためにそんな施設を作る必要が、どこにあるだろうか。国民をだましてまで原発を維持しようとするのは、軍事目的以外にはない。そしてそのような強力な軍備というものは、外国の驚異から国民を守るために必要なものなんかではない。軍備とは、軍産官複合体の利益を守り、国民に反抗させず、黙って奉仕させるためだけにあるのだ。