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ヒロシマ原爆投下の日に思う

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一瞬にして数十万人を焼き殺した原爆がアメリカの爆撃機によってヒロシマに落とされて73年目の今日。ヒロシマと3日後のナガサキに続いては、近年のイラク戦争での劣化ウラン弾のようなものを別として、核兵器が実際の戦闘で使われることは幸いにしてなかった。しかし、それは大国が独占して小国に言うことをきかせる便利な道具として温存されてきた。だからこそ、北朝鮮やイラクなどがそれを何とか自力で作ろうなどとするわけである。
 それにしても、世界で唯一、実戦において原爆が使われた日本で、日米政財界の利害が一致して原子力の平和利用などといって原発が推進されて次々に作られたのは、誠に悲しむべきことでしかなかった。原発が原子力の平和利用だというのは、全くのまやかしでしかない。発電の結果、数十万年も人類が管理し続けなくてはならない危険きわまりない高レベル放射性廃棄物がどんどん生まれ、その処理の方法も処分の場所も全く目途がたたないままに、原発を作り続けてきたことがそもそもおかしい。そして、チェルノブイリのような過酷事故は何重にも安全策を施した日本では絶対に起こらないと根拠のない宣伝を繰り返し、この地震・火山列島に原発を次々と続けてきた結果、起こるべくして起きたフクシマの事故。そんな大惨事を経てもなお、原発を維持し作り続けようとする原子力マフィアたち。
 彼らはもちろん、たかが発電目的で原発のように管理も大変でコストもかかるようなものを維持しようとしているのではない。地球温暖化防止だとか、近いうちに枯渇する化石燃料に代わるエネルギー資源として必要などという説明が、真っ赤な嘘であったことも、はっきりしている。核燃料サイクルで永遠にエネルギーを生み出せるなどとは笑止千万のウソにしか過ぎなかった。国の言うことなど、決して最初から信用すべきではない。
 彼らがそれを維持しようとしているのは、それが、ヒロシマ、ナガサキを一瞬にして焼き尽くした強力な兵器を作るために必要な装置であることを理解しているからに過ぎない。暴力によって人を脅し、暴力によって人に言うことをきかせるために、辺境の地に金をばらまいて原発を建設し、実際には電力がどんなに余っていても、安全に運転させようとしたら天文学的なコストがかかってしまうことがはっきりしていようと、それを維持し続けようとするのは、それがいつでも核兵器製造に転用できるものであるからに過ぎないのである。
 沖縄に米軍基地を集中させ、辺野古に新たな基地さえ作ろうとしているのも同じ理屈だ。日本の安全を守るためなどと言うのは、真っ赤なウソでしかない。あんな海兵隊のような人殺し部隊の基地が、日本の防衛に役立っているなどということが、あろうはずもない。言うことをきかぬものに暴力で言うことをきかせ、支配・被支配の関係を固定化させる、そのための装置に過ぎない。
 私は、自由でありたい。人間による人間に対する、どんな支配にも反対する。だから、原発にも、軍事基地にも、絶対反対である。そして、天皇制にも反対する。これこそ、人間を生まれによって差別するものに外ならない。これがなくなった時にこそ、日本は平和で美しい国になると信じている。


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